日本唯一の「金持神社」から、ご利益ある縁起物とは・・・

鳥取県日野町に実在する「金持神社」は、1190年以上の歴史ある神社です。
縁起のいい名前から開運、金運を求めて全国から参詣客が絶えない人気の神社です。
【金持神社の由来】
810年出雲の神官の次男が、伊勢神宮参拝のためこの地を通りかかったところ、お守りとして身につけていた神前の目付の玉石が急に重くなりました。そして、この地に宮造りするよう神夢があったので、宮造りしたと伝えられています。
金持郷は、昔、黄金より勝ると言われた「玉鋼」の産地で、原料の砂鉄が採れる谷を多く所有し、金具の文字で表されているように、鉄(てつ)のことを金(かね)と読んでいた事から、金の採れる谷を多く持つ郷「金持」と呼ばれるようになったと伝えられています。
【金持神社 境内の銘木】
金持神社境内には、鳥取県銘木100選中、サワラ、チャンチンの2本があり樹齢600年位と云われています。サワラは神社の遷宮の際に屋根のコワ材として利用するために植えられたものと考えられています。
チャンチンはセンダン科の薬木で、実は目薬に用い、先人が鉄生産の予防薬として、中国より取り寄せたものと考えられています。
県内では、このチャンチンの木、1本しか確認されていません。
【金持姓のルーツ】
日本で一番景気の良い名字の「金持」。その金持姓のもとになった地名がこの地です。歴史は古く鎌倉幕府御家人、金持広親は1205年から守護職として、この伯耆の国を治め、鉄器製造が盛んである地域にふさわしく、国宝・太刀「童子切安綱」で知られる日本最古の刀匠、伯耆安綱を輩出しています。
「吾妻鏡」などにも記載のある由緒ある名字の「金持」。
全国の「金持さん」、自分のルーツを探しにぜひこの地へ。
【金持景藤公が必勝祈願】
この地の豪族、金持景藤は、1333年、隠岐を脱出された後醍醐天皇を奉じて討幕の軍に参加し大活躍しました。その際、金持神社に必勝祈願し、神前の戸帳を御旗にしたと伝えられています。
京都への遷幸の折には、天皇の右側に名和長年公・左側が金持景藤公で「錦の御旗」を持ち上洛しました。
金持大和守景藤公のお墓と伝えられている宝篋印塔が金持地内に現在も残っています。
【金持神社の開運伝説】
「長谷部信連公の再起」 平家物語や源平盛衰記など多くの古書で快男児としてうたわれている長谷部信連公。1180年、後白河法皇の第二皇子の平氏追討計画が事前に発覚、信連公は密かに皇子を宮殿から脱出させ、孤軍奮闘しました。
そのため七年間、金持郷に流刑の身となりました。
その間に日野町にとって大切な延暦寺、長楽寺、祇園神社などを残しています。
平氏滅亡後、源頼朝御家人七人衆の一人として、安芸国宮島の検非違使、能登国の地頭職として山中温泉の発掘等を手がけ、のちに加賀百万石前田家の筆頭家老職(穴水城主)として明治まで続く長氏の始祖となりました。
この金持神社公認の縁起物は、金持神社宮司様によって開運、金運向上のご祈祷を済ませた鳥居型の宝箱です。
大変縁起が良いとされる「古代杉」を素材とした正面の額には、金持神社と記されています。
幸福、金運が末永く続くようにとの思いをこめて、縁起の良い材質にもこだわりました。

開運宝箱「金持神社公認 鳥居型宝箱」
2009年10月25日|
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